白鳥の湖 ウィーンバレエ

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AUG 2021 Next

白鳥の湖 Lebedinoe ozero

 

作曲:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 

初演:1877年3月4日  ボリショイ劇場(モスクワ) 

振付:ヴェンツェル・ライジンガー 

台本:ウラジミール・ペギチェフ &ワシリー・ゲルツァー 

蘇演:1895年1月15日  マリインスキー劇場(サンクトペテルブルク) 

振付:マリウス・プティパ &レフ・イワーノフ 

台本:モデスト・チャイコフスキー(作曲者の弟) 

 

あらすじ

 

序奏

花畑で花を摘んでいた幼いオデット姫は、悪魔ロットバルトの呪いにより白鳥にされてしまう。

 

第1幕:ジークフリート王子の宮殿

宮殿の広間で、ジークフリート王子の21才を祝う誕生パーティーが行われていた。王子の親友ベンノを始めとする友人達、家庭教師のヴォルフガング、そして多くの村人達が王子を祝うために集まっていた。皆は楽しげに踊り、パーティーは華やかに盛り上がる。そこへ王子の母である王妃が現れ、明日王子の婚約者を決める舞踏会を催すと彼に伝えた。まだ一度も女性を愛したことのない王子は、話を承諾したものの、心には僅かに不安が広がった。その不安を打ち消すように、王子は親友のベンノに勧められるままお酒を飲み、再び皆で踊り始めた。夕暮れの湖上には、白鳥の群れが飛んで行くのが見えた。

 

第2幕:夕暮れの湖

湖に白鳥の群れを見つけたジークフリート王子は、気晴らしに白鳥狩りをしようと湖畔に向かい、湖面を泳ぐ白鳥に向って弓を引いた。するとその内の一羽が突然美しい女性の姿に変わり、王子は一目で彼女に心を奪われてしまう。彼女の名はオデット姫。悪魔ロットバルトの呪いにより白鳥に姿を変えられ、夜の間この湖でだけ人間の姿に戻れるという。そして常に、ふくろうの姿に身を変えたロットバルトに監視されているのだ。周りにいる白鳥達も、彼女と同じく姿を変えられた娘達だった。彼女の呪いを解く方法はたったひとつ、まだ誰とも愛を誓ったことのない男性と、永遠の愛を誓うこと。惹かれあう2人は互いに気持ちを確かめあうと、王子はオデット姫に明日の舞踏会へ来るようにと言い去っていった。夜明けが近付き空が白み始め、オデット姫や娘達は白鳥の姿に戻り湖へと帰っていった。

 

第3幕:宮殿の広間

宮殿の広間では、ジークフリート王子の花嫁を選ぶための華やかな舞踏会が開かれ、花嫁候補である各国の姫達が招かれていた。王妃が王子に誰を選ぶのかと聞くが、王子は昨日湖で出会ったオデット姫のことで心がいっぱいになっていたので、返事ができなかった。するとそこへオデットに瓜二つの、オディールという娘がやってきた。王子はオディールをオデットと思い込み、彼女の登場に胸をときめかせ2人で踊り、オディールに永遠の愛を誓ってしまう。ところがそのオディールは、悪魔ロットバルトの娘だった。全てはロットバルトの罠だったのだ。それを知った王子はただ茫然となり、ロットバルトとオディールは姿を消してしまう。ふと窓辺に目をやると、そこには本来愛を誓うべき相手、オデット姫の姿があった。

 

第4幕:湖畔

湖では白鳥達が不安げにオデット姫の帰りを待っていた。オデットは自分達の運命をも握っているのだ。そこへ絶望した顔のオデットが帰って来た。オデットはジークフリート王子の裏切りを白鳥達に話すと涙を流した。これでもう、自分達がこの呪いから解き放たれる術はなくなったのだ。白鳥達がオデットを慰めていると、いつしか辺りには暗雲が立ち込め、激しい稲妻と共に湖は嵐で荒れ狂い始めた。そこへオデットを追って王子がやってくる。王子は自分の過ちをオデットに詫び、オデットがこれを赦すと、2人は抱き合ったまま嵐の湖へと呑み込まれていった。やがて嵐は静まり、王子とオデットの魂は、月明かりの中白鳥達に見守られながら天へと昇っていく。(幕)

プログラムとキャスト

指揮:Paul Connelly

音楽:Piotr I. Tschaikowski

振付&演出:Rudolf Nurejew (Marius Petipa版より)

     :Lew Iwanow

舞台&衣装:Luisa Spinatelli

照明:Marion Hewlett

稽古付け:Lukas Gaudernak

    :Jean Christophe Lesage

    :Alice Necsea

フォトギャラリー

ウィーン国立歌劇場

 

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連絡先

住所:Wohllebengasse 6/2,

1040, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
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歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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