連隊の娘 ウィーンオペラ

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 連隊の娘 La fille du regiment

 

作曲:ガエタノ・ドニゼッティ

台本(仏語):J.H.ヴェルノア / J.F.バイヤール

台本(伊語):C.バッシ

初演:1840年2月11日オペラ・コミーク座(パリ)

伊語の初演:1840年10月3日スカラ座

 

あらすじ

 

第1幕:19世紀初め。チロル地方とフランス・パリ

山の遠くからフランス軍の大砲の音が聞こえる。村人は戦況を見守るが、フランス軍の退却の報が届き一同安心する。この戦禍で旅の足止めをくらっていたベルケンフィールド侯爵夫人と執事のオルタンシウスが山小屋に戻ってきた。公爵夫人は「戦争は嫌い」と歌う。そこにフランス軍第21連隊が軍曹シュルピスに率いられ現れる。村人は恐れて逃げ去り、ベルケンフィールド侯爵夫人も小屋に隠れる。そこに軍服姿のマリーが登場。彼女は幼い頃戦場でシュルピス軍曹に拾われ、この連隊の中で育てられた孤児で、兵士らに可愛がられていた。ふさぎがちなマリーに軍曹が訳を尋ねると、マリーは以前崖から落ちた時、一命を救ってくれた青年が忘れられないと言う。その時一人の青年がスパイ容疑で連行されてきた。彼こそマリーの命の恩人トニオであり、彼もマリーを忘れられずに彼女の姿を追い、スパイと間違われたのだ。マリーのとりなしでトニオも入隊することになる。マリーは皆に所望されて「連隊の歌」を歌う。皆が去ると、二人はお互いの心のうちを語る愛の二重唱を歌う。やがて、ベルケンフィールド侯爵夫人がシュルピス軍曹と話すうちに、マリーが、死んだ夫人の妹とフランス軍人との間に生まれた娘であったことが判明する。ベルケンフィールド侯爵夫人はマリーを、貴族に相応しい教育をするために引き取るという。皆との別れの辛さに拒むマリーだったが、シュルピスに説得されて、侯爵夫人とともにパリに行くことを決意する。

 

第2幕:パリのベルケンフィールド伯爵夫人邸

ベルケンフィールド侯爵夫人の邸宅では、マリーが礼儀作法、バレー…と稽古に励んでいるが、慣れない上流階級のしきたりに苦労する毎日だった。シュルピス軍曹も、今ではこの家の執事として働いている。マリーが入ってくると、公爵夫人のピアノ伴奏で歌のレッスンがはじまる。しかしマリーは懐かし「連隊の娘」を歌い出す。一人になったマリーは楽しかった連隊での生活を思い出し、アリア「身分も富も」を歌う。その時、今や大尉に昇進したトニオと連隊がやって来る。トニオはマリーに求婚するが、伯爵夫人はマリーが、実は自分の子どもであると告白し、マリーとクラーケントルプ家との婚約が決まっていることを告げる。クラーケントルプ伯爵夫人の一行が到着し、マリーが結婚証明書にサインをしようとするその時、トニオが現れてそれを妨げる。マリーは孤児として連隊で育てられた自らの生い立ちを正直に告白し、それでも実母に従いサインすると言う。ベルケンフィールド侯爵夫人はその正直な心に打たれて、ついにマリーとトニオの結婚を許す。人々は「フランス万歳」と叫び、喜びのラタプランで幕。 

プログラムとキャスト

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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