つばめ
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ジャコモ・プッチーニのオペラ
イタリア語、ドイツ語と英語の字幕付き
物語
『新グローヴオペラ事典』[1]と『作曲家・人と作品 プッチーニ』[3]を参照した。
第1幕
パリ、マグダの家のサロン。裕福な銀行家ランバルドの愛人として暮らしているマグダの家へ友人たちが集まり、詩人のプルニエが恋について話している。彼はピアノを弾きはじめ、自作のヒロイン、金ではなく愛を選んだドレッタについて歌うが、途中で詰まったところでマグダがそれを引き継ぎ、学生に恋したドレッタに託して自分の愛への憧れを歌う(「誰がドレッタの美しい夢を」Chi il bel sogno di Doretta potè indovinar?)。ランバルドは彼女へ真珠の首飾りを贈る。
マグダは女友達たちに、かつてブリエの店で恋に落ちた経験を話してみせる(「甘く清らかなひとときだった」Ore dolci e divine - 「お嬢さん、恋は花開いた」Fanciulla è sbocciato l'amore!)。ランバルドが友人の息子であるルッジェーロを連れて入ってくるが、それと並行してマグダの手相を見ていたプルニエは、彼女がいつか「つばめのように海を渡って、恋をする」と予言する。ルッジェーロがパリの夜を過ごすにはどこがいいかという質問にさまざまな提案が帰ってくるが、マグダの小間使いのリゼッテはブリエの店がいいと言い、一同はそれに賛同する。
客たちが帰ったあと、マグダは着替えのため部屋に入っていく。プルニエが戻ってきて恋人であるリゼッテと戯れ、リゼッテはマグダの帽子を拝借してプルニエと出かけていく。グリゼット(英語版)の身なりをまとったマグダが登場し、ブリエの店での恋に思いをはせながら出発する。
第2幕
ブリエの店。人々で賑う店へマグダが現れ、声をかけてくる学生たちをあしらいながら、一人でいたルッジェーロのテーブルに座り名乗らないままに話しかける。二人は会話するうちに距離が縮まり、ルッジェーロはマグダを踊りに誘う。ワルツが展開していき、その途中にリゼットとプルニエが現れる。踊り終わったルッジェーロとマグダは愛を確信し、マグダは「パウレッテ」Pauletteと名乗る。リゼットはマグダに気づいて驚くが、プルニエは人違いだと言って聞かせる。ルッジェーロがマグダへの愛を歌いだし、ほかの登場人物や合唱が加わりコンチェルタートとなる(「あなたのさわやかな微笑みに乾杯」Bevo al tuo fresco sorriso)。
突然ランバルドが店へ現れる。ランバルドが事情を説明するよう求めるとマグダは、新しい恋をしてしまいもう共にはいられないと告げ、ランバルドは引きさがる。プルニエの指示でいちど席を外していたルッジェーロが戻ってきて、マグダとともに店を出ていく。
第3幕
海岸の家。ルッジェーロとマグダは二人で幸福に過ごしているが、母親へ金の無心と結婚の承認を求める手紙を書いたとルッジェーロが話し、マグダは未来を思って不安にかられる。歌手になる夢を叶えられなかったリゼットがプルニエと口論しながら登場する。ふたたび小間使いとして雇ってほしいというリゼットの頼みをマグダが快諾すると、ランバルドは彼女のことを待っていると伝えてプルニエたちは退場する。
結婚を認められたと喜ぶルッジェーロが現れ、彼の母親からの手紙をマグダは読みあげる。息子が貞淑な妻を見つけて嬉しいと伝える文章を読んで絶望したマグダは自分の過去を告白し、彼の妻になるのにふさわしくないと告げて、すがるルッジェーロのもとから去っていく。
プログラムとキャスト
舞台監督: ロッテ・デ・ビア
共同監督/振付: フロリアン・ハーラー
舞台美術: クリストフ・ヘッツァー
衣装デザイン: ジョリーヌ・ファン・ベーク
照明デザイン: アレックス・ブロック
照明デザイン: ゲオルグ・ファイト
合唱指揮: ロジャー・ディアス・カハマルカ
フォルクスオーパー・ウィーン
フォルクスオーパーへのアクセス
地下鉄:U6
トラム:40 、 41 、 42
バス:40A
停車駅:ヴェーリンガーシュトラッセ/フォルクスオーパー(Währinger Straße/Volksoper)
タクシー乗り場は環ヴェーリンガーギュルテル(Währinger Gürtel・環状道路)沿いに位置しています。
又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機していますので、ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
フォルクスオーパーについて
ウィーン・フォルクスオーパーはウィーンでは国立歌劇場についで2番目に大きな歌劇場で、オペレッタ、オペラ、ミュージカル、バレエなど洗練された軽音楽が上演されます。
毎年9月から6月迄のシーズン内に約300公演、35演目が上演され、オペラ「魔笛」「トゥーランドット」、ミュージカル「マイ・フェア・レディー」、バレエ「真夏の世の夢」を始め、多大なレパートリーを誇ります。そして、何と言っても「こうもり」「メリー・ウィドー」「チャルダッシュの女王」「ワルツの夢」他、ウィーン特有のオペレッタはフォルクスオーパーの最も得意ジャンルとして常に生きる喜びに溢れた舞台音楽を堪能できます。
歴史
1898年、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館しました。
1906年にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが初代指揮者に就任。1907年に「トスカ」、1910年に「サロメ」が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァやリヒャルト・タウバーなどが出演しました。
第一次世界大戦の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていましたが、1928年に経営が悪化し倒産、翌年1929年からはオペレッタを主な演目としました。
第二次世界大戦終盤の数ヶ月はしないで2番目に大きな1,550席の映画館として使用されていましたが、終戦後、空襲で壊滅的な打撃を受けたウィーン国立歌劇場の代替役をアン・デア・ウィーン劇場とともにしばらく担っていました。
1955年に国立歌劇場が再オープンしてからは再び、オペラ、オペレッタ、ミュージカルなどの公演に復帰しますが、1991年9月より再度国立歌劇場に属し、出演歌手などが両方の劇場に所属するといった状態になっていましたが、1966年より独立。