ラファエル・フィンガーロス&サシャ・エル・ムイッシ
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ラファエル・フィンガーロスは、シューベルト、ブラームス、コルネリウス、そしてロバート・フュルステンタールの歌曲でロマン主義を讃えます。オーストリア系アメリカ人の後期ロマン派作曲家は、若い頃にナチスによってウィーンから追放されましたが、最近になって驚くべき復興を経験しました。ラファエル・フィンガーロスは、フュルステンタールの「驚くべきハーモニーのアイデア、美しく感動的なメロディー、そして故郷ウィーンへの常に存在する強い憧れ」に魅了されています。
プログラムとキャスト
ラファエル・フィンガーロス:バリトン
サッシャ・エル・ムイッシ:ピアノ
フランツ・シューベルト「月への放浪者」 D 870
フランツ・シューベルト 月へ D 259 「藪と谷を再び満たして」
フランツ・シューベルト「春の信仰」 D 686
フランツ・シューベルト「アム・バッハ」春 D 361
フランツ・シューベルト ブリス D 433
ピーター・コーネリアス 天におられるわれらの父 op. 2/1 (9つの霊的な歌)
ピーター・コーネリアス「ホーリー・ビー・ユア・ネーム」op. 2/2 (9 つのスピリチュアル ソング)
ピーター・コーネリアス「ユア・キングダム・カム・トゥ・アス」Op. 2/3 (9つのスピリチュアルな歌)
ピーター・コーネリアス汝らは成就する op. 2/4 (9 つの霊的な歌)
ピーター・コーネリアス今日、私たちに日々の糧を与えてくださいop. 2/5 (9つの精神的な歌)
ロバート・フュルステンタール白菊の日(晩収穫)
ロバート・フュルステンタール しかし、私はあなたに会いません(後半の読書)
ロベルト・フュルステンタール トラベルソング (レイトハーベスト)
ロバート・フュルステンタール・ノットゥルノ (遅摘み)
ロバート・フュルステンタール ラブソング (レイトハーベスト)
- 壊す -
ヨハネス・ブラームス 夜にどうやって起きたのか op. 32/1
ヨハネス・ブラームス もう君のもとへは行かない op.32/2
ヨハネス・ブラームス I こっそり op.32/3
ヨハネス・ブラームス「ああ、だからまた私が欲しいのね」op. 32/5
ヨハネス・ブラームス「汝は如何に、我が女王よ」op. 32/9
マックス・ブルッフ マルガレータ op. 33/3
マックス・ブルッフ「バラより来ました」op.17/4
マックス・ブルッフ修道院の歌 op.17/10
マックス・ブルッフ「真夜中」op.59/1
マックス・ブルッフ「深淵のターレ」op.15/3
ヨハネス・ブラームスのすべての思い (ドイツ民謡 1894 No. 30)
ヨハネス・ブラームス「許してください、素敵なお嬢さん」(ドイツ民謡 1894 No. 2)
ヨハネス・ブラームス リンデンがある (ドイツ民謡 1894 No. 41)
ヨハネス・ブラームス「愛すべき道へ」Op.48/1
ヨハネス・ブラームス「ダウン・イン・ザ・バレー」 (ドイツ民謡 1894 No. 6)
ウィーン楽友協会 ブラームスザール
「誇張せず簡潔に表現すれば、これは我々が地球上で知る限り、最も美しく、最も豪華で、最も晴れがましい室内楽ホールであ る」――1993年10月、巨額を投じて修復されたブラームス・ホールが再び市民のまえに姿を現わしたとき、ウィーンのあ る日刊紙はこう評している。
大 ホールと異なり、ブラームス・ホールは歳月とともに大きく様相を変えてきた。如何なる経過で、いつごろからブラームス・ホールが1993年以前のやや寂れ た状態になったかは不明のままであ った。唯一確かだったのは、かつてのホールが全く異なる外観だったに違いないという事実だけであ る。「楽友協会新建築の工事と落成に寄せて」という記録文書の中で、当時まだ小ホールと呼ばれていたブラームス・ホールは「小さな宝石あ 」と称えられている。「愛すべき小ホールは大ホールと著しい対照を示している。その落ち着いた雰囲気とシンプルな品位は、正に特筆に価する…」
1870 年当時の小ホールが如何なる外観であ ったか、即座に説明できる人物は全く存在しなかったが、古い資料が一条の光明をもたらした。ウィーン美術アカデミーの銅版画キャビネットで発見された2つ のオリジナルなエスキスには、極めてカラフルに装飾された小ホールが描かれていた。このことは壁面の丹念な調査により実証された。緑の壁に赤い柱、そして 豊かな黄金の装飾、これが小ホールのオリジナルな外観であ ったに違いない。それは又ブラームス・ホールの外観でもあ る。
抜本的な修復に よってホールは再び、色彩豊かな「ギリシャ風ルネサンス」へと蘇った。ヘラスと呼ばれた古代ギリシャへの傾倒は、ここでも神殿の破風、イオニア柱、カリア ティードなどに表現されている。1870年の最初のコンサートでは、クララ・シューマンが演奏した。これはヨハンネス・ブラームスの提言によるものであ った。ブラームス自身もピアニストとしてここで演奏し、彼の多くの作品がここで初演されている。こうした経緯から協会創立125周年の1937年、小ホー ルはブラームス・ホールと改称された。以来ブラームス・ホールは全世界の音楽ファンにとって歌曲および室内楽のトップアドレスとして知られている。
長さ32.50メートル、幅10.30メートル、高さ11メートル、座席数約600。偉大な兄とも言うべき大ホール同様の音響条件を備えている理想的なホールであ る。