地獄のオルフェ ウィーンオペラ

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ジャック・オッフェンバック作曲による全2幕4場のオペレッタ(またはオペラ・ブッフ)。

1914年の帝劇初演時の邦題「天国と地獄」でも呼ばれ、特に序曲第3部がその名で知られる。

 

あらすじ

オリジナルの2幕版による。

時と場所:神話時代。ギリシア地方および天国と地獄

 

第1幕

第1場:オルフェの屋敷があるテーベ郊外の田園

まず「世論」(ギリシャ悲劇のコロスに該当する)が現れ、序唱「私は誰でしょう?」(Qui je suis?)を歌い、一般人の美徳の守護者であることと、その正しさを説く。オルフェの妻ウリディスは羊飼アリステのために花を摘みながら「夢見る女は」(La femme dont le coeur rêve)を歌い、花輪を作り小屋へ投げ入れる。彼女は夫のオルフェにとうに愛想を尽かしており、今はアリステに恋しているのだった。そのアリステは実は冥界の神プリュトンで、ウリディスを誘拐するために変装しているのである。そこへオルフェが登場するが、手にしているのは神話の竪琴ではなく、ヴァイオリンである。この倦怠期を迎えた夫婦はお互いを我慢のならない状態になっている。彼は、妻を不倫相手の羊飼の娘クロエと間違えて愛のセレナードを歌う。お互いの浮気がばれてしまい、喧嘩の二重唱をはじめ別れてしまおうとする。さらに、オルフェは妻が自分の新作のヴァイオリン協奏曲を嫌っているのを知っていて、わざと嫌がらせにヴァイオリンを弾きながら「素晴らしくて、味わい深くて、人を惹きつける」と歌うが、ウリディスは同じリズムで「嘆かわしくて、恐ろしく、うんざりさせられる」と歌う。しかしオルフェは「世論」の制裁を恐れ、ウリディスとアリステがいつも逢瀬を重ねる麦畑に毒蛇を隠す。オルフェは向こうの畑に何か仕掛けてあるぞと意味ありげな忠告をして立ち去る。ウリディスはアリステに夫が何か罠がかけてあると言っていたと注意するが、アリステはウリディスとなら何があっても悔いはないと言って聞き入れない。すると、ウリディスはあっさりと毒蛇にかまれ倒れてしまう。アリステは大王の本性に戻り、ウリディスを地獄に連れ去ろうとする。ウリディスは死ぬ見込みが高まったと喜び「死が微笑んでいる」(La mort m'apparaît souriante)を歌い、夫に「私は家を出ます。何故なら死んだから」(Je quitte la maison parce que je suis morte)と書置きを残す。オルフェはこれを読んで「彼女は死んだ、本人が言うのだから間違いない!」(Elle est bien morte, puisqu'elle le dit elle-même!)と悲しむどころか羊飼の娘の所へ行けると喜ぶ。しかし、「世論」に世間体を考えて大神ジュピテルに頼んで妻を黄泉の国から取り戻せと命じられ、しぶしぶ天国へ向かうのだった。

第2場:明け方の雲に包まれたオリュンポスの山

オリュンポスの山では一人眠りの神モルフェだけが起きていて他の神は寝ている。「眠ろう、眠ろう、我らの眠気が」(Dormons, dormons, que notre somme)と合唱されている。そこへヴェヌス、キュピドン、マルスが各々の夜の営みから戻ってくる。すると、ディアヌの角笛が響き一同は目を覚ます。ディアヌは「ディアヌが野に降りるとき」(Quand Diane descend dans la plaine)を歌う。ディアヌが毎朝地上で会う約束をしている羊飼いのアクテオンが現れなかったので浮かぬ顔をしていると、ジュピテルはディアヌがアクテオンと会っているのが民衆に見られ、悪い評判が立ったので、アクテオンを鹿の姿に変えたのだと説明する。ディアヌはいつも世間体を気にすると非難する。一方、ジュピテルの妻ジュノンはプリュトンが人間の人妻ウリディスを誘拐したと告発する。ジュピテルはメルキュールを呼び出し、この件の真相を解明するよう指示する。すると、ジュピテルに神らしく礼節のある振る舞いをしろと折檻されて不満が抑えきれなくなった神々は『ラ・マルセイエーズ』の節に乗って、「武器を取れ、神よ、半神よ!」(Aux armes, dieux et demi-dieux!)と歌い、ジュピテルが地上の女達と行った不品行の数々をあげつらってやり返し、ジュピテルの暴君ぶりを糾弾する。ジュピテルは神の国でも反乱をするのかと怒り出す。そこへ「世論」がオルフェを連れてやって来る。オルフェはいやいやながらグルックのアリアをもじり「妻を帰して欲しい」と歌う。ジュピテルはプリュトンにウリディスの返還を命じる。オリュンポスに退屈した神々一同はジュピテルの命令が実行されることを確認するために活気にあふれた地獄へ行きたいとジュピテルに訴える。ジュピテルがこれを了承すると、全員によるジュピテル賛歌(Gloire, gloire à Jupiter)が合唱される。最後は神々の歓喜の踊りと歌で幕が下りる。

 

第2幕

第1場:地獄のプリュトンの寝室

ウリディスはプリュトンの女部屋にかくまわれ、身を持て余している。話し相手はプリュトンの召使であるジョン・ステュクスしかいない。彼はかつてボイオーティアの王だったころからの悲しい人生を物語る「かつてボイオーティアの王だった時」(Quand j'étais roi de Béotie)。ステュクスはプリュトンにウリディスを部屋に鍵を掛けて閉じ込めておくように命令されていたので、ジュピテルとプリュトンが入って来る物音を聞いて、ウリディスを閉じ込めてしまう。ジュピテルはハエ(蝿)に化けて鍵穴から入り彼女に一目惚れする。とにかく暇だったウリディスが面白がってハエを追いかけるとジュピテルはわざと捕まる。ジュピテルは「ジー、ジー」とハエの音を出し誘惑し、愉快な二重唱(Duo de la Mouche)となる。頃合いをみて、ジュピテルは身分を明かし、これから行われるプリュトンのパーティーで混乱を起こし、それに乗じてオリュンポスへ一緒に行こうと誘う。ウリディスはすぐその気になり、バッカスの巫女の姿に変装して宴会に出席し、後で逃げることにする。

第2場:地獄の大宴会場

すべての神が大宴会に参加しており、飲めや歌えの大騒ぎとなっている、合唱「ワイン万歳!プリュトン万歳!」(Vive le vin! Vive Pluton!)。様子を見てジュピテルとバッカスの巫女姿のウリディスが逃げようとするが、プリュトンに見つかってしまい、そうは行きませんよと立ち塞がられる。オルフェが「世論」に連れて来られ、「妻を帰して欲しい」と言う。ジュピテルは約束だから返すが、オルフェに地上に戻るまでは決して後ろを振り向いてはならないとの条件を付ける。夫婦は地上に戻り始めるが、オルフェはなかなか振り向かない。業を煮やしたジュピテルは落雷を起こし、オルフェが驚いて後ろを見ると妻の姿はない。オルフェは喜んで地上の羊飼の娘の許へ戻ろうとする。ジュピテルはウリディスをバッカスの巫女にすると決める。「世論」以外は皆満足し、ハッピーエンドとなる。

プログラムとキャスト

舞台監督: Spymonkey、Aitor Basauri、Toby Park
舞台・衣装デザイン: Julian Crouch
振付: Gail Skrela
ビデオ: Joshua Higgason
照明デザイン: Tim van't Hof
合唱指揮: Roger Díaz-Cajamarca

フォルクスオーパー・ウィーン

フォルクスオーパーへのアクセス

地下鉄:U6
トラム:40 、 41 、 42
バス:40A
停車駅:ヴェーリンガーシュトラッセ/フォルクスオーパー(Währinger Straße/Volksoper)

タクシー乗り場は環ヴェーリンガーギュルテル(Währinger Gürtel・環状道路)沿いに位置しています。

又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機していますので、ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。

 

フォルクスオーパーについて

ウィーン・フォルクスオーパーはウィーンでは国立歌劇場についで2番目に大きな歌劇場で、オペレッタ、オペラ、ミュージカル、バレエなど洗練された軽音楽が上演されます。

毎年9月から6月迄のシーズン内に約300公演、35演目が上演され、オペラ「魔笛」「トゥーランドット」、ミュージカル「マイ・フェア・レディー」、バレエ「真夏の世の夢」を始め、多大なレパートリーを誇ります。そして、何と言っても「こうもり」「メリー・ウィドー」「チャルダッシュの女王」「ワルツの夢」他、ウィーン特有のオペレッタはフォルクスオーパーの最も得意ジャンルとして常に生きる喜びに溢れた舞台音楽を堪能できます。

 

歴史

1898年、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館しました。

1906年にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが初代指揮者に就任。1907年に「トスカ」、1910年に「サロメ」が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァやリヒャルト・タウバーなどが出演しました。

第一次世界大戦の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていましたが、1928年に経営が悪化し倒産、翌年1929年からはオペレッタを主な演目としました。

第二次世界大戦終盤の数ヶ月はしないで2番目に大きな1,550席の映画館として使用されていましたが、終戦後、空襲で壊滅的な打撃を受けたウィーン国立歌劇場の代替役をアン・デア・ウィーン劇場とともにしばらく担っていました。

1955年に国立歌劇場が再オープンしてからは再び、オペラ、オペレッタ、ミュージカルなどの公演に復帰しますが、1991年9月より再度国立歌劇場に属し、出演歌手などが両方の劇場に所属するといった状態になっていましたが、1966年より独立。

 

 

Volksoper Viena
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© Barbara Pálffy/Volksoper Wien
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