真珠採り
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真珠採り – ジョルジュ・ビゼー | オペラ
全3幕のオペラ
台本:ミシェル・カレ&ユージェン・コルモン
第1幕・第2幕 – 約90分
休憩 – 約25分
第3幕 – 約60分
あらすじ
第1幕 島の浜辺
舞台は未開時代のセイロン島の浜辺の村。
真珠採りの頭領ズルガと、彼の旧友ナディールは、かつてレイラという美しい女性を争った仲であった。そこへ真珠採りたちの安全を願うために遣わされた尼僧を乗せた船が到着する。
ズルガは尼僧に、純潔と信仰の誓いを立てさせるが、その尼僧が他ならぬレイラであることに気づいて、ナディールは大いに驚き悩む。レイラもナディールに気づき、祈りの最中に彼の呼びかけに応えてしまう。
第2幕 荒れ果てた寺院
レイラはヌーラバットの命令により、崖の上の寺院に籠もっている。彼女は仲間たちに、遠い昔に逃亡者の命を助けて、その礼に首飾りをもらった話を語る。 レイラを諦めきれないナディールが寺院に忍び込んできて、2人はお互いの心を確かめあう。一緒に逃げようと訴えるナディールの言葉を一旦は拒絶したレイラだったが、断りきれずに次の夜に落ち合う約束をする。
ところが、ナディールは寺院の見張りに捕まってしまった。それを知ったズルガはナディールを助けようとするが、彼が逃がそうとした尼僧がレイラだったことを初めて知り、嫉妬に苛まれて2人に死刑を言い渡してしまう。
第3幕 テントのある海辺、処刑場
ズルガが旧友とレイラに死刑を宣告してしまったことを後悔していると、そのレイラ自身がナディールの助命嘆願にやってくる。ズルガはレイラに愛を告白するが、彼女の心は変わらずナディールのもとにある。
処刑の時間が近づき、レイラは母への形見としてあの首飾りを届けて欲しいと頼む。その首飾りを見て、ズルガはかつて自分を救った恩人がレイラだったことに気づき、2人を助けようと決心する。
処刑場にレイラとナディールが引き立てられてくる。ズルガは村に火を放ち、その騒ぎの隙を見て2人を逃がす。
ズルガの行為の一部始終を影で見ていたヌーラバットが、その裏切りを告発する。ズルガは2人を救えたことを喜びながら息絶える。
プログラムとキャスト
レイラ – クリスティーナ・ムヒタリヤン
ナディール – フアン・ディエゴ・フローレス
ズルガ – ルドヴィク・テジエ
ヌーラバード – イヴォ・スタンチェフ
音楽監督 – ダニエレ・ルスティオーニ
演出、美術・衣装 – エルサン・モンターク
映像 – ルイス・アウグスト・クラーヴェン
照明 – ヘニング・シュトレック
ウィーン国立歌劇場
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ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。