Titus
MAY 2026 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
ティトゥス
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲のオペラ
イタリア語上演、ドイツ語字幕付き
休憩1回
コジ・ファン・トゥッテに続き、フォルクスオーパー・オペラスタジオの最初の卒業生による最終公演の後、若きアンサンブルの第二世代が、アウガルテンにあるMuThで別のレパートリー作品を上演します。新たに編成された室内楽版で、演出家モーリス・レンハルトはモーツァルトのオペラと現代の世界的な政治状況との深い関係を強調し、それを現代的な政治スリラーへと作り変えます。この世界では、ヴィッテリアとセスト、そしてセルウィリアとアンニオという二組のカップルが、陰謀、腐敗、殺人が渦巻く冷酷なシステムに巻き込まれていきます…権力と無力は紙一重なのです。
プログラムとキャスト
演出:モーリス・レンハルト
舞台美術:クリスティーナ・ガイガー
衣装デザイン:クリスティーナ・ガイガー
ドラマトゥルク:マグダレーナ・ホイスバウアー
音楽監督:ミヒャエル・パパドプーロス
ティト・ウェスパシアヌス(ローマ皇帝):セイヨン・キム
ウィッテリア(皇帝ウィッテルスの娘):ミラ・アルホヴィック
セルウィリア(セストの妹、アンニオの恋人):チェルシー・グオ
セスト(ティトの友人、ウィッテリアの恋人):ハンナ・フェオドロフ
アンニオ(セストの友人、セルウィリアの恋人):カミラ・アギレラ・ジャニェス
プリオ(近衛隊の隊長):スメロ・マフラング
フォルクスオーパー・ウィーン
フォルクスオーパーへのアクセス
地下鉄:U6
トラム:40 、 41 、 42
バス:40A
停車駅:ヴェーリンガーシュトラッセ/フォルクスオーパー(Währinger Straße/Volksoper)
タクシー乗り場は環ヴェーリンガーギュルテル(Währinger Gürtel・環状道路)沿いに位置しています。
又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機していますので、ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
フォルクスオーパーについて
ウィーン・フォルクスオーパーはウィーンでは国立歌劇場についで2番目に大きな歌劇場で、オペレッタ、オペラ、ミュージカル、バレエなど洗練された軽音楽が上演されます。
毎年9月から6月迄のシーズン内に約300公演、35演目が上演され、オペラ「魔笛」「トゥーランドット」、ミュージカル「マイ・フェア・レディー」、バレエ「真夏の世の夢」を始め、多大なレパートリーを誇ります。そして、何と言っても「こうもり」「メリー・ウィドー」「チャルダッシュの女王」「ワルツの夢」他、ウィーン特有のオペレッタはフォルクスオーパーの最も得意ジャンルとして常に生きる喜びに溢れた舞台音楽を堪能できます。
歴史
1898年、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館しました。
1906年にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが初代指揮者に就任。1907年に「トスカ」、1910年に「サロメ」が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァやリヒャルト・タウバーなどが出演しました。
第一次世界大戦の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていましたが、1928年に経営が悪化し倒産、翌年1929年からはオペレッタを主な演目としました。
第二次世界大戦終盤の数ヶ月はしないで2番目に大きな1,550席の映画館として使用されていましたが、終戦後、空襲で壊滅的な打撃を受けたウィーン国立歌劇場の代替役をアン・デア・ウィーン劇場とともにしばらく担っていました。
1955年に国立歌劇場が再オープンしてからは再び、オペラ、オペレッタ、ミュージカルなどの公演に復帰しますが、1991年9月より再度国立歌劇場に属し、出演歌手などが両方の劇場に所属するといった状態になっていましたが、1966年より独立。