ヴェツ・マクロプロス

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NOV 2025 Next

 

ヴェツ・マクロプロス – レオシュ・ヤナーチェク|オペラ

 

 

マクロプロス事件 Vec Makropulos

 

作曲:レオン・ヤーナチェク/Leos Janacek

台本:作曲者自身(チェコ語)

原作:カレル・チャペック戯曲「マクロプス事件」 

初演:1926年12月18日,ブルーノ国民劇場

 

登場人物:

エミリア・マルティ:337歳のオペラ歌手 (S)

アルベルト・グレゴル:100年にも及ぶ遺産相続訴訟の依頼人(T)

コレナティー:グレゴルの弁護士(B,Br)

ヴィーテク:コレナティーの秘書(T)

クリスティーナ:ヴィーテクの娘,新人歌手(S)

ヤロスラフ・プルス:訴訟の相手(Br)

ヤネク:プルスの息子(T)

ハウク・シェンドルフ:頭の混乱した老伯爵(T)

掃除婦(A)、道具方:(Br)、小間使い(A)、医者(黙役)、他

 

あらすじ:

 

時と場所:1922年、プラハ、コレティナーの法律事務所、舞台、ホテルの一室

 

【第1幕】 コレナティーの法律事務所

弁護士コレナティーの助手ヴィーテクが忙しく働いていると、依頼人のアルベルト・グレゴルが先祖から受け継いだ、100年にも及ぶ訴訟の判決を聞きに現れる。そこにヴィーテクの娘クリスティーナが興奮して入ってくる。たった今観て来たオペラ歌手エミリア・マルティの歌と美貌に魅了され、父親に報告に来たのだ。すると偶然にも、弁護士のコレナティーが噂のマルティ本人を連れて登場する。驚いたことにマルティは、グレゴルの100年も続く裁判について聞きたいと言うので、コレティナーが説明を始める。
その概要は、1827年子供のいないヨゼフ・フェルナンド・プルス男爵が遺言を残さずに死亡し、男爵の父方の従弟が全遺産を相続した。しかし母方の従弟も相続権を申し立て、更に遺産の一つであるロウコフ領地権については、フェルナンド・グレゴルという人物が「ヨゼフ男爵から生前領地権を約束された」と主張した。それに対して、プルス家は「その内容を示すヨゼフ男爵の遺言は無く、男爵は死に際にマッハ・グレゴルなる人物にロウコフ領を与えると言い残したが、マッハ氏とフェルナンドは別人である。」と反論した。以後100年間決定的な証拠も見つからず、プルス家とグレゴル家の裁判が続いているというものだった。すると不思議な事に歌手マルティは「ヨゼフ男爵はエリアン・マック・グレゴルというオペラ歌手と愛人関係にあり、二人の間にフェルナンド・グレゴルが生れた。マッハと言うのは聞き違いで、正しくはマック・グレゴルである。そして証拠の遺言書はプルス家の書類棚に書簡とともに保管されている」と語る。証拠がなければ駄目だと話を信じない弁護士コレナティーに、依頼人グレゴルはプルス家に出向き遺言書を探し出すよう命じる。
コレナティーが出て行くと、敗訴を覚悟していたグレゴルはマルティの情報提供に感謝する。するとマルティは何故かグレゴルの幼小名を呼び子供扱いする。不思議な魅力に満ちたマルティに、グレゴルは恋に落ちたと告白するが相手にされない。そればかりか、プルス家には遺言書とともに、ギリシャ語の封印書があるので、持って来て欲しいと頼まれる。グレゴルが戸惑っていると、コレナティーが遺言書を見つけ、訴訟相手のプルスを伴い戻ってくる。プルスはフェルナンド・グレゴルが、ヨゼフ男爵の息子であるという証拠がなければ遺言書は無効だと主張する。マルティは出生証明書を送る代わりにプルス家の書類棚にあるギリシャ語の封印書を要求する。

 

【第2幕】 公演後の舞台

公演の終わった舞台では道具方や掃除婦が、歌手マルティの圧倒的な才能とそれに熱狂する聴衆について話をしている。人気のない舞台に、恋人同士のクリスティーナとプルス家の息子ヤネクがやって来て、仲睦まじい様子である。そこにプルスとマルティが現れ、続いてグレゴル、ヴィーテクもやって来る。グレゴルは恋するマルティに宝石箱を忍ばせた花束を渡すが、マルティは宝石箱を抜き取って「無駄使いは駄目」とつっ返し、小遣いまで渡す。一方ヴィーテクは、マルティをかつての名歌手ストラウダのように素晴らしと褒める。しかしマルティはストラウダを始め往年の名歌手達を次々とこき下ろし、その勢いで舞台の片隅にいる恋人同士のクリスティーナとヤネクに「愛など価値のないことだ!」と言い捨てる。その時頭が混乱した老伯爵ハウクが飛び込んで来て、マルティは50年も前に恋をしたジプシー女、エウヘニア・モンテスに瓜二つだと言う。意外にもマルティはハウクにキスをし、上機嫌のハウクが去って行くと、プルスに話があるからと言って皆を退席させる。
二人になったプルスは、書類棚で遺言書と一緒にE.Mと書かれた手紙と封印書を見つけたと話す。そして戸籍を調べたところ、フェルナンド・グレゴルの正式名はフェルナンド・マクロプロスで、母親はギリシャのクレタ島出身のエリナ・マクロプロスだと告げる。更にプルスはE.Mはエリアン・マック・グレゴルではなくエリナ・マクロプロスではないかと迫り、マクロプロスという人物が現れない限り、ロウコフ領はやはりプルス家のものだと主張する。マルティは封印書と聞いて、売って欲しいと頼むがプルスは、はぐらかして出て行く。代わってグレゴルが現れる。そしてマルティに激しい恋心を告白するが、マルティは相手にせず眠ってしまう。仕方なくグレゴルが去ると今度はヤネクが入ってくる。目を覚ましたマルティは、ヤクネも今や自分の虜であると知り、父親のプルスから封印書を盗むようそそのかす。ヤネクが躊躇しながらも承諾したその時、見張っていたプルスが現れヤクネを追い払う。マルティは、プルスにも色目を使い、今夜封印書を持って来るように頼みこみ、ついに承諾させる。

 

【第3幕】 ホテルの一室

翌朝、マルティはプルスと寝室から出てくると、約束通り封印書を受取るが、プルスはマルティの色仕掛けに惑わされた自分を後悔している。そこに使いが来て、マルティと父親の関係を知ったヤネクが自殺したと告げる。衝撃を受けるプルスをよそに、マルティは顔色一つ変えず髪をとかし続ける。するとまた昨日の老伯爵ハウクが現れ、マルティと一緒にスペインへ行く約束があると言う。驚いたことにマルティも同行の意を示す。その時グレゴル、コレナティー、ヴィーテク、クリスティーナ、医師が入ってくる。ハウクは医師に連れ出される。そして弁護士コレナティーは、先日マルティから送られた出生証明書にあった男爵の愛人エリアン・マック・グレゴルの筆跡と、先日マルティがクリスティーナにあげたサインとが同一だったことから、あの証明書は偽ものだと迫る。マルティは全てを打ち明ける前に身支度をすると奥に入る。その間にマルティの所持品を調べるコレナティーたちはエリナ・マクロプロス、エリアン・マック・グレゴル、エウヘリナ・モンテス、他多数のE.Mの頭文字のついた書類や品物をみつけだす。そして全てがエリナ・マクロプロスの手紙の筆跡と一致することを発見し混乱する。着替えを済ませたマルティがウィスキー片手に現れ、コレナティーの質問に答え始める。本名はエリナ・マクロプロス、クレタ島出身、1575年生まれの337歳。父親は皇帝ルドルフ二世の侍医で、不老長寿の薬作りを命ぜられた。薬が出来あがると皇帝は、まず侍医の娘である自分に薬を飲ませた。私は1週間も眠り続け、父親は詐欺罪で牢につながれてしまった。その後目を覚ました私が、既に長寿を得ていることを確かめるすべがあるはずもなく、私は薬の処方箋を持って逃げだし、以後名前を変えて世界中を放浪した。ある時ヨゼフ・プルス男爵と恋をし、フェルナンド・マクロプロスつまりフェルナンド・グレゴルを産んだ。ここにいるグレゴルは私の玄孫であると話す。一同は信じることが出来ずマルティの正体を追及する。しかしマルティはエリナ・マクロプロスであると主張し続け、次第に衰弱していく。もうろうとした意識の中でマルティの言葉はギリシャ語混じりになり「300年の命は全ての意味を失わせ、限りがある命こそ価値がある事を悟った。先ほどプルスから受け取った封印書がマクロプロスの処方箋だが、もう必要はない」と話す。そしてクリスティーナにヤネクを死に追いやったことを謝り処方箋を渡し「これを飲めばマルティのような大歌手になれる」と告げる。一同は受取を拒否し、クリスティーナがマクロプロスの処方箋を火にくべる。赤く燃え上がる炎があたりを照らしマルティは長すぎた人生を終え、幕となる。

 

プログラムとキャスト

エミリア・マルティ:マルリス・ペーターゼン
アルベルト・グレゴール:パヴェル・チェルノフ
ヤロスラフ・プルス:ボー・スコウフス
ドクター・クニース:ヴォルフガング・バンクル
指揮:トマーシュ・ハヌス
演出:ペーター・シュタイン
舞台美術:フェルディナント・ヴェーガーバウアー
衣装:アンナマリア・ハインライヒ
照明:ヨアヒム・バルト
メイク:セシル・クレッチュマー

フォトギャラリー

ウィーン国立歌劇場

 

RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。

ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Wohllebengasse 6/2,

1040, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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