死の都

チケットを購入する
APR 2027 Next

 

死の都 – エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト | オペラ
全三幕のオペラ
台本:パウル・ショット
(実際はユリウスおよびエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト)
ジョルジュ・ローデンバックによる
言語:ドイツ語

 

第1部 — 約90分
休憩 — 25分
第2部 — 約30分

 

あらすじ
長年にわたり、パウルは亡き妻マリーの記憶だけを頼りにブルージュで生きている。彼の家の一室は「過去の教会」となり、彼女を思い出させる品々――その中には彼女の髪の一房も含まれる――を大切に保管している。

友人フランクが訪ねてきたとき、パウルは亡きマリーに瓜二つの女性と出会ったことを語る。それはブルージュで公演中の舞踊家マリエッタで、彼の招待を受け入れた女性だった。彼女はバラの花束を受け取り、マリーのリュートで自ら伴奏しながら古い歌「Glück, das mir verblieb」を歌う。やがてパウルの中で、亡きマリーの姿とマリエッタの姿が次第に重なり合っていく。彼が彼女を抱きしめようとすると、彼女は身をかわして稽古へ向かうが、劇場での再会を約束して去っていく。

 

パウルは深い夢に沈み、その中でマリーが肖像画から現れ、彼に貞節を思い起こさせる。突然、彼はマリエッタの家の前の岸辺に立っている。フランクが部屋の鍵を持って現れるが、パウルは彼を打ち倒して鍵を奪う。マリエッタは一座とともに劇場から戻り、アルベルト伯爵のために、マイアベーアのオペラ《ロベール・ル・ディアブル》の復活の場面を路上で即興的に演じる。彼女は死から蘇ったヘレナを演じる。パウルはこれに割って入り、彼女を冒涜だと非難する。マリエッタは死んだライバルに挑む。二人が夜を共にした後、パウルは罪悪感に苛まれる。やがて家の前を行列が通り過ぎると、マリエッタは彼の信心深さを嘲る。ついに彼女はマリーの髪の一房を手に取り、パウルはそれを取り返そうとして彼女を地面に倒し、絞め殺してしまう。

パウルは夢から目を覚ます。マリエッタが忘れていったバラの花束を取りに現れる。フランクも戻り、パウルは彼とともにブルージュ、「死の都」を去る決意をする。

プログラムとキャスト

パウル:クラウス・フロリアン・フォークト
マリエッタ(舞踊家):ヴィーダ・ミクネヴィチューテ
フランク(パウルの友人):アンドレ・シュエン
フリッツ(ピエロ):アンドレ・シュエン

 

指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:ヴィリー・デッカー
美術・衣装:ヴォルフガング・グスマン

ウィーン国立歌劇場

 

RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。

ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Wohllebengasse 6/2,

1040, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

Opera de Stat Viena
© Bwag/Commons
© Wiener Staatsoper
類似したイベント